【この人たちがいるから、“金沢”になる】
国家ってきっとそこに“国民”がいるからその国家であるんだろうと(社会の勉強不足でそういう思考をなんと定義しているのか全然出てこない)思うんだけど、私にとっての金沢もそれだなと。
学部を卒業して2年間が経ちました。先日、ようやく大学院も修了しました。18年間の学生生活も幕を閉じます。
冷静に、長すぎ。(笑)
先日24歳の誕生日を迎え、様々な方面の方からお祝いのメッセージを頂いた時には私はスペインはグラナダにおり、ふわっふわしてました。(お祝いのメッセージをくださった方々、本当にありがとうございました!)
引っ越しの話
その後、日本に帰ってきてから現実(=引っ越し)と向き合わねばならず、だいぶ一苦労…
まずは手配(そもそも3月入ってからしようとか思う方が間違い)してなかったことが大きな間違いですねw1人暮らしだしどうにかなるっしょとか無計画にもほどがあるww
私の金沢時代の家を訪問する友人は「お世辞にもこの家はキレイとは言えない。」と断言するほど、私の部屋はキレイという言葉とは無縁であったのにも関わらず、金沢⇒岐阜間の引っ越しもすべて宅配便(まあでもヤマト便めっちゃオトク。1万円ぐらいで済んだw)で配送し、冷蔵庫と洗濯機はお世話になったフィットに乗せて岐阜に帰りました。
ま、それでどうにかなったから気を抜いたんでしょうね、岐阜⇒横浜の準備も1日でできるっしょーと思ってたら全然(笑)
ものが捨てられない性格を忘れていました。
「(住む予定の)あの部屋ってこんなにものはいるっけ???」
そんな疑問をもちつつ、昨日の夜やっとのことで配送完了。
今、名古屋⇒新横浜間の新幹線の中でカタカタしています。
今日の荷ほどきが地獄のようですね。はい。
どうにかならないこともこの世の中、あるわ、そりゃ、忘れてた。
私にとって大事なこと
さて、冒頭お話したことですが、私は金沢に“兼六園”がなくても、“21世紀美術館”がなくても、「ここは金沢だ!」と言えます、もし、そこに私がこの6年間で関わった人たちがいるのなら。
逆に言えば、2年前の今ごろ、同級生が金沢をどんどん離れていくのを見て、「ここはもう金沢なんかじゃない!」と嘆いていました。
私にとって“人”っていうのはとても重要なポイントなのでしょう。
だから、今日から横浜市民になるわけですが、別にみなとみらいにあの大きい観覧車がなくても、赤レンガ倉庫がなくても、これから知り合うことのできる素敵な人たちがいればそこは私にとっての“横浜”になるんじゃないかなって思います。
そして人生の中でそういう場所がどんどん増えていけば幸せだなぁと。
だーいぶ感傷に浸っていますが…
このタイミングでブログ?
春休み、いや、この数年で感じたこと、自分の中で変わったこと、たっくさんあるのに、言語化してオープンすることがとてもストレスに感じてしまったので、あまり出せてなかったけど、しっかりと出していこうかなと思いました。
(金沢との繋がりを断ち切れないので、できる活動を引き続きしたいと。あるテーマについてブログを書きたい。そのためのブログの練習かもしれませんが上手に文章書けるようになれたらいいな、なんて思ってます!)
そんなこんなで、まずはここまで。
とにかく、周囲に言わないと始められない、追い込まないとやれない性分なので、温かく見守ってください。(笑)
新生活、わくわくどきどき
今日は海外インターンで繋がった人たちと飲む予定!
こういう時はやっぱり人と会って話してアウトプットするに限る!
では!