"当たり前”ほど恐ろしいものはないと思う

北海道にきて、はや2か月が経過しました。

現場にて4日目で泣きながら現場を歩いたことはもう現場の作業員さんの中では有名なお話(らしい、本当にみんな情報をゲットするの早すぎるんだから、)!

 

私は、色んな会社の人たちと働くという特殊(?)な環境にいるため、自社の人たちだけではなく、本当に様々な人にお世話になって、助けられて、この2か月間を生きてこれてるなぁと実感しています。

 

感謝の気持ちでいっぱい。

 

これをちゃんと業務で活かせるようになりたいなって毎日思います。

 

 

業務内容を“性行為”に例えられた時

冒頭で「4日目に泣きながら現場を歩いた」お話をしました。

誤解されないとは思うけど、さすがにネタでもなく、結構哀しくて、これがフツウだったら、私あと半年やってられないな、って思ったんです。

 

実際、上司にはもう本社戻っていいよって言われました(笑)

 

確かに社会人になって、喜怒哀楽をコントロールできない自分も嫌だったけど、それ以上に、「こういうことがまかり通っている世の中ってどうなの?」という疑問から、怒りと哀しみに暮れるしかなかった。。

 

さすがに泣くとは思ってなかったから、もうそんな自分にも驚きながら、とにかく解決の糸口を漁るしかなくて。

 

人って、じっくり話を聞いて、共感してもらえたら、本当に心が穏やかになるんだなぁと実感しつつ、ただただ色んな人に話を聞いてもらっていました(笑)

 

本当に、感謝しかないです。

 

現場にいる指導員の人もすごく善処してくれて、本当に助かりました。

 

“知ってくれている人がいる”安心感を得られたからなのか、そのあとも「電話番号教えてよ~」とか、「保護メガネはずして顔見せてよ~」とか、「(作業前に肩たたき運動をするんだけど)今日の肩たたき、いい感じだったよ、いい思い出ができた!」とか、「なんで建設現場で働こうと思ったの?お婿さん探しにきたんでしょ?」とか言われても、私は「何言ってるんですか~!(笑)」って笑い飛ばせるようになりました。

 

(ちなみにこれ全部就業時間内に言われてる。飲み会じゃない。。みんなシラフ!!!)

 

だけど。

これが当たり前じゃない。

これが当たり前になるような感覚をもちたくない。

 

 

「過剰に反応しなければいいんだよ。」

この言葉は私にとっては破壊力抜群でした(笑)

正直、これを真顔で言われるとは思ってなくて。

 

しかも、心から尊敬している先輩に。

加えて、さも当然かのように下ネタを振りかざしてきた男性の上司に。

 

そうか、そういう風に思ってる人って多いんだな。

つまり、泣いている私に対して、「何を過剰に反応しているの?無視すればいいのに、笑い飛ばせばいいのに。」と思っている人がいるんだなって。

 

その能力はあれば確かに幸せかもしれない。

「建設現場だから」とか、「理系女子ってそういうのいけるでしょ?」とか言われるけど、そんな”当たり前”を、飲み込んで生きていくのも、それはそれで幸せなのかもしれない。

 

今日も、「今では何でもすぐ”セクハラだ!”って言われるから何も言えなくなっちゃうよ。」と言う人に対して、どう接していかなくちゃいけないのかなあと考えました。

私の答えは…

 

 

それでも、みんなに愛をもって接したいと思う。

もう病気なんじゃないかって思います、正直。(笑)

 

職人さんに、「なんでいつもそんなに笑顔で元気なの!少しは落ち込んだ方がいいよ!(笑)」って、今日も言われたんだけど。

 

(十分落ち込んでるから安心して!!!って言いたかった)

 

ありのままの自分を好きになることもいいけど、好きな自分をつくっていくのも一つの手だと思う。

 

 

始めは正直、なんで私ばっかり努力しなきゃいけないの!って思っていたけど、

指導員に「それも、教育の一環だと思って。それができたら、本当にすごいと思う。」って言われた時、「あ、これって私の仕事なんだ!」って吹っ切ることができたのかもしれない、とも思います。

 

この考え方をもってからは、とても楽。

これってコーチングスキルの一種な気がする…!

 

そしてもう1つ。

そうじゃない、そうじゃないよ…って思ったエピソードがあります。

 

 

「それぐらいのことはもう慣れてる」…から大丈夫?

こうやって思うことって怖いことだな、と。

例えばお客さから、例えば部下から、上司から。

難癖だったり、注文だったり、愚痴だったり、ネガティヴなことを言われた時に、「また言ってるわ、こうやって言われることなんてしょっちゅうだから、平気平気~」って思うことこそ、本当に怖いなぁって思うんです。

 

わざわざ多量のエネルギーを使って、ネガティヴなことを言うのは相当大変なこと。

もちろんをそれを受け入れる側も相当な労力が必要なのだろうけど。

 

だけどね、言われたことを真摯に受け入れるって必要だなって。

それが自分の理念に明らかにマッチしていなくて、生理的にどうしても受け入れがたければ、そこまで無理をする必要はない気がする。

 

ただね、少なくとも「文句言われ慣れ」にはなりたくない

そこには何の向上心もないと思うから。

 

そのためにも、その人が言っている「根本的な、本質的な問題は何なんだろう?」という思考は常にもっていたいと思いました。

 

 

ポジティヴに、かつネガティヴに。

色んなことがあったおかげで(?)、研修1か月目は自分よがりな目線しかもつことができなかったんだけど、最近になってようやく“周りを見る”大事さを感じるようになりました。

 

さっき書いたように「笑顔で元気(=ポジティヴ)」でいることは私にとってとても居心地のよいこと。

 

 

じゃあ、なんでネガティヴも必要だと思うのか。

それは、私がもつ「1990年代に生まれたからこそもっている感覚」は、確かに年齢を重ねている人たちにはもつことのできない、もしくはもつのが非常に難しい感覚なのであるということを理解する必要があるから。

1か月前までは、「こんなの許せない!時代遅れだ!」って思っていたけれど、諸先輩方が言うとおり、私の働く業界はとても特殊な環境で、今まで変化を受け入れる機会をもたなかった環境だから、と冷静に思うことができるようになりました。

 

 

何をつくるのかに依らず、そこには人がいることを忘れない

やっぱり私にとって、「何をするか」よりも、「誰とするか」が大事になっていて、そうなった以上、やりたいことを、より価値を出せるような環境をつくりだしてやり抜きたいっていう想いがあります。

 

具体的に言うなれば、今、私は上司を選べる特殊な環境にあります。

それぞれの上司は全く違う仕事をしている。

その中で、上司を選ぶときに「その仕事に興味があるかどうか」よりも、やっぱり「その人に興味があるか」に食らいついちゃうんだよね。

 

これに賛同してくれる人もいれば、もちろん、仕事はそんなに甘いものじゃない!って批判する人もいると思う。

事実、私もこの考え方には偏りが多いと思うから、なるべく苦手で嫌いな上司にも話しかけて吸収させてもらおうとしています。(笑)

耐えられるところまでは頑張ろうと思っている。(笑)

 

あとは、それもそれで運命かと。

もしかして他の現場にいったら、今とは全く別のことに興味をもっているかもしれない。

まあ、それもそれで面白いじゃない、って思っています。

 

 

加えて…

 

私は純粋なメーカーで働いたことがないから分からないけど、特にBtoCだと、人の顔が見れないことがしばしばあると思います。

ただ、絶対その先には人がいることを忘れないことって、大事なんだろうなぁって。

 

そして、私が働いている業界では、カースト制度のようにしっかりとしたピラミッドで人間関係が構成されています。

だからこそ、上にいる人たちは「人を動かす」必要がある。

そして、どれだけクールでビジネスライクな関係が必要でも、そこには人間の感情が入ってくるに決まっていると、私は冷静に感情的に思います。(笑)

人が存在する限り、感情を捨ててはたらくことはできない。

早朝だから機嫌が悪いっていう軽い(?)レベルから、仕事が順調に進まないイライラを徐に表に出しちゃうことだってある。

だから、感情を出さないことがプロフェッショナルだとは思わないです。

むしろ、いかに感情を引き出して、相手が抱えるトラブルを相手自身が理解できるか、これってコーチングスキルだよなぁ、それが上に立つ人間がしなきゃいけないことなんだろうなぁ、と思っています。

 

 

さて、そんなこんなで9月になりました。

社会人5ヵ月目が終わりました。

 

自由にのびのびと(ときにはわがまますぎる主張もしながら)、それでも周りの人への感謝の気持ちは絶やさずに!

 

みなさん、北海道に遊びにきてください!!!(笑)